情報のコンビニの館

暮らしのお役立ち情報を紹介しています

*

大阪造幣局の桜の通り抜けの歴史を紐解く|大阪商人の心意気が花咲かす!

   

大阪造幣局の桜の通り抜けの歴史を紐解く1

大阪造幣局で開催される桜の通り抜けは、毎年、60~70万人と人手の多い、大阪の春のシーズンの風物詩なのです。

1883(明治16年)、その時代の局長ですが、造幣局内の桜の一般披露を始動させてからというもの、時世と並行して品種あるいは本数を増加させてきたのです。

スポンサーリンク

 

■大阪造幣局の桜の通り抜けの歴史を紐解く

○2016年の開催の概要

開催期間は、平成28年4月8日(金曜日)から4月14日(木曜日)までの7日間です。

平日は午前10時から午後9時まで、土曜日・日曜日は午前9時から午後9時までとなっています。

桜の通り抜けの方法は、造幣局南門(天満橋側)から北門(桜宮橋側)への一方通行(距離約560メートル)になります。

造幣局では、参加者に通り抜けの桜に親しみを持ってもらうために、数多くの品種のうちから一種を「今年の花」として選んで、毎年紹介しています。

ちなみに、今年の花は「牡丹(ぼたん)」です。

大阪造幣局の桜の通り抜けの歴史を紐解く

「牡丹」は、大島桜系の里桜で、花はふっくらした牡丹の花を思わすような淡紅色の優雅な大輪で、花弁数は15枚程あります。

○ 造幣局にはなぜよく桜が植えてあるのでしょうか?

通り抜けとして有名な大阪造幣局(本局)の敷地に関しては、元来は織田有楽斎のお屋敷あとで、花の有名スポットであったんだそうです。

大阪造幣局の桜の通り抜けの歴史を紐解く4

お日様良好な広々とした敷地の中で、平常では人々の出入りの無い公共機関という実態が、花の維持にとっては理想的だったんでしょうか。

明治16(1883)年、遠藤謹助局長が「局員に限定した花見などは忍びない。一般市民と一緒になって満喫しよう」と発案し、構内の桜並木の一般開放がスタートし、今や、100年を越える歴史を刻み込んでいるのです。

その大阪造幣局の桜を広島支局に移植したのが昭和42年。

それ以降平成3年に、造幣局創設120年事業のひとつとして市民に開放され、「花のまわり道」として人気を得ています。

残念ではありますが、東京支局(池袋)は、その立地条件のせいか花見とは関係がないそうです。

○造幣局の本局はなぜ大阪なのか?

確かな理由は造幣局であっても明解ではないとのことです。

太政官(今の内閣)に、造幣局が設置されたのは1869年2月5日。

建設工事はその前の年からスタートしています。

おおよそ明治維新の頃合いですね。

大阪造幣局の桜の通り抜けの歴史を紐解く5

この明治維新にまつわるいきさつがあったということで、設置の根拠に関して四つの説が挙げられます。

まず、 維新政府を財政的にサポートした関西財界に対する見返り措置、というのが一つ目です。

二つ目に、その当時、大阪遷都論が浮上してたことによる要因を根拠とする説。

ちなみに、明治維新の時、新政府は大阪に首都を定めようとしましたが、前島密は「大阪は天然の都会なり。江戸は人工の都会なり。」とし、天然の都会である大阪は放っておいても自立するが、徳川によって興された江戸は、政治機能を奪うと衰退する、と進言し、結局は首都・東京が生まれたと言います。

三つ目として江戸の治安状態がひどかったこと。

四つ目に「天下の台所」と呼称されることから、大阪が商業の中心地であった、というのが考えられます。

けれども、この四つの説に対してはすべて拠り所と考えられる文書などなく、結局、造幣局内での言い伝えにしか過ぎません。

スポンサーリンク

 

○ところで、大阪でも他に候補地があったのかな?

難波や中之島も候補地の一つであったようです。

けれども、香港造幣局へ造幣機械の買い入れに派遣された政府の役人が「第一に水利を考え、広大な面積を取るべし」と意見し、江戸幕府の材木置き場跡地などであった現在の場所(大阪市北区天満1)に白羽の矢が立ちました。

また、 ちょうど目の前に大きな川がありますが、 大川(旧淀川)です。

大阪造幣局の桜の通り抜けの歴史を紐解く3

水利を最優先で考えたのは建物の建設資材を送るために必要であったからだそうです。

当時は道路だって、まだまだ発達してなかったからだと考えます。

○硬貨は全部、大阪で製造しているの?

大阪だけでなく、東京と広島にだって支局があって、製造の一部を引受けています。

造幣局全体では、統計は古いですが、08年度で11億枚弱の硬貨を製造しましたが、大阪製については、そのうちの約6割だそうです。

○いつか本当の理由が分かる日が来るのかな?

造幣局の敷地内にある造幣博物館の職員の方々が、古い文書を連日調べ続けています。

近い将来、文書にそれ相応の記述に巡り合えたら、歴史の謎の一つが解ける可能性は残っています。

また、ある職員さんの説明では、幕末に、首都が関東か関西か決まっていない段階で、香港(本国はイギリス)から、硬貨を作る機械と技師を輸入することを決めたそうです。

そして、とりあえず大阪に設置したので、そのまま大阪になったということでした。

造幣局の正式稼動開始は明治4年だそうです。

かなり初期から動いていたようです。

なお、平成15年4月1日から、現在は、独立行政法人造幣局となったのです。

■最後に

大阪造幣局の桜の通り抜けの歴史を紐解く6

大阪造幣局では、「関山(かんざん)」「普賢象」「松月(しょうげつ)」「楊貴妃(ようきひ)」といった八重咲の品種はもとより、約130品種・350本の桜が披露されます。

球場の大型の花に始まる「大手鞠(おおてまり)」、手鞠かのような形として花を開ける「小手鞠(こでまり)」等の品種については、造幣局のみしか殆どないめずらしいものになります。

あなたも、今年は、大阪造幣局の「桜の通り抜け」にお出かけになって、その歴史を紐解かれてはいかがですか?

スポンサーリンク